中学には、担任がいない
小学校までは、担任の先生が一人いた。提出物も、持ち物も、その日の予定も、ある程度はその先生が束ねてくれていた。子どもが多少バラバラでも、教室全体の流れの中で拾ってもらえる部分があった。
中学に上がると、その「束ね役」がいなくなる。教科ごとに先生が変わって、宿題も、配られるプリントも、提出の締め切りも、全部、本人が自分で管理する前提になる。スケジュールを自分で追って、必要なものを自分で揃えて、自分で出す。
ほかの子にとっても、この移行はそれなりに大変だと聞く。ただ、実行機能——段取りを立てて、順番に片づけて、先を見越して動く力——が弱い息子にとっては、ここがいちばんの壁だった。机の中は、いつも、ぐしゃぐしゃのプリントで溢れていた。何がいつ必要なのか、本人の中で整理されないまま、紙だけが溜まっていく。
そして、みんなが当たり前にやっている「次はこれ」「これを持ってくる」に、毎回のように乗り遅れる。そのたびに、本人はさらに自己嫌悪に沈んでいく。こういう子は、ただでさえ自己肯定感がとても低い。できないことが、机の上の紙みたいに目に見えて積み上がる場所では、それがいっそう削られていく。
友達のほうは、それとはまったく別の理由で作りにくい。中学は教科ごとにクラスが入れ替わるので、一日中ずっと同じ教室で過ごした小学校までと違って、同じ顔ぶれと一緒にいる時間が短い。そもそも、同じクラスメイトと顔を合わせる機会そのものが少ない。関係が育つ前に、次の時間にはもう別の集まりになっている。
息子は、自分からはまず話しかけない。よほど興味があって、黙っていられない時くらいだ。だから、こちらが何もしなければ、学校での関わりはなかなか増えていかない。
学校側の支援がないわけではない。息子にもIEPはある。ただ、そのIEPが見ているのは、コミュニケーションの部分だけだ。目標もとても単純で、「お友達にHiと言う」みたいな話。学力のサポートでも、段取りそのもののサポートでもなく、「学校生活がなんとか回るように」という、社会面のものだ。
だから、中学の移行でいちばんしんどかった実行機能のところに対しては、IEPは特に何もしていない。支援が当たっている場所と、本人が実際に困っている場所が、少しずれている。毎年ミーティングは開かれるけれど、その外側で何かが動いている実感は、あまりない。
結局、頼りになったのは、本人ができる範囲で習慣にできることを見つける、という方向だった。背伸びした仕組みを渡しても続かないし、それどころか、許容量を超えたやり方を押しつけると、この手の子はわりと簡単にパニックになる。だから、線を本人に合わせて引き直して、その中で回る形を探すしかなかった。
苦手なものに当ててみて、初めて分かることもある。一度、メディア系のクラスを取ったことがあった。コミュニケーションが多くて、本人にはかなり苦痛だったらしい。ただ、やってみたからこそ「これはもうやらない」とはっきり分かった。合わないものを一つ消せた、という意味では、無駄ではなかったのだと思う。